どうして「君の名は。」ではなく、「秒速5センチメートル」なのか。

どうして「君の名は。」ではなく、「秒速5センチメートル」なのか。

 

 

僕は君の名は。を映画館で見てから、秒速5センチメートルを視聴しましたが後者のほうにとても惹かれました。一方で終わり方を好いていない人や、前者のハッピーエンド?を好んでいる方がたくさんいるように感じられました。ですので僕がどうして、後者を好きなのか、どういうところが好きになったのかを書いていきたいと思います。

以下ネタバレ、拡大解釈、個人の好みによる批評等々含みますので注意してください。

僕はどんな作品も個人の好き嫌いがすべてだと思っている人なので、作品を直接批判する意図はございません。

秒速5センチメートルは秒速と表記

 

 

1二つの作品間における奇跡の扱い

君の名は。は離れ離れになった二人が偶然か必然なのかは別として、再開します。そのような運命だったと言われてしまえばそれまでですが、就活中や奥寺先輩とのシーンなどの描写から、明るい方向に運命が回っているという風には解釈できませんでした。そこで、秒速との差別化を図るようなラストシーンにつながります。そこまでの過程があまり明確ではないと感じたので、奇跡という言葉を当てさせてもらいました。

それに反して、秒速のほうは離れ離れになった二人はなあなあのまま再開することなく物語は終わります。秒速の第一話の最後の貴樹の独白や、お互いに手紙を渡せないところからも自然な結末に感じられます。また、手紙が飛ばされてしまうのも、神の悪戯のようで、奇跡と相反した現実感があると思います。

僕の感覚だと、君の名は。は目の前に偶然落ちてきた奇跡によって話が終局することに対する違和感があって、秒速を見てそれが解決されるような気がしました。奇跡なんて起こらない圧倒的な現実の前に屈しながら、それでも前に向くあのラストシーンはとても魅力的に感じました。山崎まさよしさんの楽曲との演出も素晴らしいと思いますが、その「One more time,One more chance」の歌詞でも いるはずもない となっています。歌全体を通して、自分のすべてを懸けてもどうしようもない現実を美しく表現しているのではないかと感じました。君の名は。はそこで 起きるはずもない 奇跡が起こりますから、そこを自然に受け止められるかが物議の原因なのではないでしょうか。

                               

 

2作品の雰囲気、リアリティ

新海監督作品の作画はリアリティに秀でていてどちらの作品にもとてもマッチしているように最初は感じられました。ですが先ほど述べた、君の名は。を初めて見た際の違和感の一端はこの作画から来ているのだと秒速を見たときに気が付きました。君の名は。の映像が人を惹き付けるのはリアリティではなく、彗星や自然をオーバーに、かつ納得できるすれすれのラインを通すことで生まれてくる、アニメの映像美の極致にあるからだと思いました。僕もとても好きです。雰囲気アニメばっかり見ている身なので。対して、秒速の映像は1で述べたように、非情な現実を表現していく内容にリアリティを追っていくような絵は、君の名はと全く逆の方向で素晴らしい効果を発揮していると感じました。

そのように整理すると、君の名は。のほうは作品の方向性がぶれている、あるいは無理をしていると考えられます。(メルヘンな話に無理やり絵を合わせていて、最大限効果を発揮できていない)これが上記の違和感、もやもやした感覚につながっているのかと思います。

 

 

3キャラクター

両方の作品ともに作品で最も重要なのは貴樹と明里、瀧と三葉は言わずもがなです。男の子が女の子に働きかけるという見方をすると、ベクトルも似ています。ですが、結果は真逆です。瀧は最終的に災害から人々を守り三葉と再開しますが、貴樹は誰とも結ばれることなく、傷つけているという見方もできます。王道の中の王道といった風の瀧にくらべ、貴樹は平凡な人という印象が際立ちます。ですが、僕はそこに魅力を感じました。ベターでカッコイイ主人公像に飽きてしまったといわれればそれまでですが、彼の魅力は目新しさがある(ある意味平凡な人というのもやりつくされていますが)というわけではありません。今風の人間の懊悩や苦しみを背負っているところや、1で述べたような運に翻弄されるところが、切なくて目を奪われます。また、僕に魅力を感じさせる、親近感と人間味を生む一番の要因となっているのは彼の自分勝手さだと思います。一見彼は他人を尊重しているように感じる方も多いと思いますが、僕の目には利己的に映るような描写が多くあります。明里との電話や、第二話での周りの人を意に介さず遠くを見つめているような描写、三話でのメールのやり取りなどがそれに当たります。特に二話の貴樹が宇宙?を見ているシーンは彼の人格を象徴しているように感じます。彼の世界の中には他人はもちろん、明里でさえも最終的には不必要だったのではと感じさせられてしまうほど印象的です。三話のメールのやり取りでは、彼の自分本位なところがより形を帯びて、お互いに距離が縮まらないという結果を招いているのかなと思います。優しくはあっても、他人のための思いやりとは違い、自分の足場を安定させるための優しさ、言い方を変えれば甘さしか彼は知らなかった。あるいは知っていても実践できなかったのかもしれませんが。自分も持ち合わせているこの汚さに彼を通じて強く意識させられたとき、この作品をより一層好きになりました。

 

まとめ

繰り返しになりますが、現代チックな人の苦しみを抱えた登場人物たちのどうしようもまく纏まらない現実というものが、作品として形を成していること。僕はそこに強く惹かれました。ここまで創作物に対して、本物のリアリスティック?というものを感じたことがなかったからだと思います。僕の読書歴等が未熟だから面白くない作品を過剰に評価しているという批判もあると思います。ですが、もろもろのことを抜きにしても、とても素晴らしい作品だと僕は感じました。

以上になります。 分かりにくい部分、感覚的な説明がたくさんあると思いますので、なんでもいいのでございましたら、ツイッターのほうへお願いします。@neoerua 感想もお待ちしております。言葉遣いが統一できてなくてごめんなさい。僕 で書き始めたのをすごく後悔しています。